つながり
磐越道の最後の工事「西会津IC〜津川IC間」“津川工事事務所”のハナシ
メンバー
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富田 正則
施設技術部 ITS開発課 課長 -
伊藤 敏克
品質安全管理部 品質安全管理課 調査役 -
鈴木 恒永
土木技術部 次長 -
長谷川 宏
技術推進部 品質安全管理部 上席専門役 -
古川 裕一
施設技術部 施設設計課 課長 -
種村 弘栄
土木技術部 上席専門役
※撮影時のみマスクを外しました。
社員の所属・記事内容は、記事公開日当時のものです。
「僻地1級」の地で和気あいあいとした日々
古川:「コンビニこの先20㎞」っていう看板が事務所の道路脇にありました。夕飯も20時にはお店が閉まっちゃう、そんなところです(笑)。
鈴木:当時の道路公団で「僻地1級」に指定されていたからね (笑) 。
富田:「事務所の駐車場に熊が出た」って話もありましたよね?
一同:あるある。熊出てた。
伊藤:私の中では、「夕方になるとキッチンから包丁の音が聞こえてくる事務所」ですね。毎日誰かが夕食を作りだすんですよ(笑)。
鈴木:僻地だったから、みんな事務所近くに住んでいたし、和気あいあいとした事務所でしたよね。
種村:地域の方との交流も盛んだったしね。春は山菜・秋は松茸…と地域の方から頂いたものをつまみに、何かと宴会を開いていたね。
長谷川:私の記憶でも「忙しいけれど、いつも和気あいあいとしていた事務所」です。
※1 写真引用元 『津川(工)10周年記念誌「きりん山』(日本道路公団 新潟建設局 津川工事事務所 1996年11月発行)
※2 写真引用元 『新世紀への路 磐越四季彩ライン 磐越自動車道 西会津~安田間 津川工事事務所建設誌1987-1998』(日本道路公団 北陸支社 津川工事事務所 1998年1月発行)
みんなで書いた「津川」の文字
鈴木:皆さん、当時私たちが屋根に上って書いた「津川」の文字、今も残ってるんですよ!
一同:おぉ…本当だ…!
種村:確か「事務所の航空写真を撮るから人文字を」って言われたんだけど「津川」なんて作れるほど人もいなかったし、「じゃあ屋根に書こう」ってなったんだよね。
鈴木:当時のワープロ「一太郎」で出した字を手作業で拡大して、屋根に写して、みんなで屋根に上ってペンキ塗りましたよ。
古川:私と長谷川さん・富田さんは工期の最後の方に津川に来た「施設工事班」なので経験してないですけど、これはいい思い出ですね。
忘れられない開通日決定の瞬間とその後
富田:それにしても、開通日決定の瞬間とそれからの日々は大変でしたね。
長谷川:当時の某建設大臣がテレビで言っちゃったんだよね。「11月半ば」という予定だったのに「10月1日に開通します」って。
富田:これ確か金曜日でしたよね?私は夕方に知って、翌日から休日返上で対策練って、それからがもう大変。工期を1カ月半前倒しですからね。
古川:とにかく10月1日に「何とか開通させよう」って感じだったよね。道路以外の部分は、開通日もまだ工事してたもん(笑)。
津川工事事務所で得た経験を次の世代に
古川:いつも上司から言われていた「遅い仕事は誰でもできる」でしょうか。今でもこれは自分の仕事の指針のひとつになっています。
富田:たぶんそれ、私が1番言われてたような気が…(笑)。私にとってこれが初めての施工管理の仕事でしたが、通常の保守・維持管理とは違い「新しくものを作る喜び」を感じました。目の前に実際にものができていくのは嬉しかったですね。
長谷川:あの頃は失敗をしながら覚えていった。今はその失敗の経験を元に、失敗をしないように指導するのが私たちの仕事だよね。
種村:失敗を後進に伝えるのは大切な役目だよね。でも人間って痛い目にあって成長する面もあるから「軽い失敗で済むように見守る」のが大切なのかな。
伊藤:私も当時20代でしたが、工事を1件担当させてもらい、いい経験になりました。やっぱり若手育成は「若手を主役に、ベテランは脇役に」だなと。あと「種村先輩がうちに来て揚げだし豆腐を作って床をベタベタにして帰ったこと」も伝えていきたいですね…。
種村:あぁ、恒例の歓迎会ね(笑)。新しい人が来るたびやってたね。
鈴木:こういう面も含めて、ほんと仲が良かったですね。「チームとしての一体感」の大切さも学びましたよ。