“U-70 新潟県中越地震経験者つながり”のハナシ

メンバー

  • 椛沢 久 63歳
    湯沢道路事務所 施設保全点検課 上席指導役

    単身赴任で長野県佐久市のアパートにいました。(当時43歳)
    →湯沢の防災対策本部へ

  • 斎藤 政男 68歳
    上越道路事務所 施設工事課 糸魚川駐在

    単身赴任で新潟市のアパートにいました。(当時48歳)
    →新潟にとどまり、長岡の支援へ

  • 小幡 勝雄 60歳
    施設事業部 施設管理部 施設管理課 長岡道路事務所駐在

    親族の結婚式に出席するため、東京・錦糸町にいました。(当時40歳)
    →湯沢の防災対策本部へ

  • 米山 誠也 63歳
    長岡点検事務所 点検課 上席指導役

    南魚沼市の自宅にいました。(当時43歳)
    →湯沢の防災対策本部へ

社員の所属・記事内容は、取材当時のものです。

今号は「Uー70特集号」ということで、50〜70歳の社員を代表して、4名の方に集まっていただきました。話題は、皆さんが経験された新潟県中越地震。普段なかなか聞く機会がない、このご経験。後世に残すべく、共有いただきました。

旧川口町で最大震度7 その時、家族は?家は?

まず、地震発生時の様子を教えていただけますか?

斎藤:私は単身赴任で新潟のアパートにいて、立っていられないほど揺れました。偶然その日は糸魚川から家族が遊びに来ていたので、家族全員で一緒にいられたのが不幸中の幸いでした。

椛沢:私も単身赴任で、長野県の佐久市のアパートに1人でいました。すぐに魚沼にいる家族に連絡を取ろうとしたのですが、電話もメールもつながらず…。下道で6時間掛けて自宅に戻ると、道の真ん中にテントを建てて、妻と子ども2人が寝ていました。家の中は、テレビが部屋の反対側に飛んでいたりして、めちゃくちゃでしたね。余震もあったので家の中には入らず、テントや車の中でしばらく過ごしました。

小幡:私も新潟にはおらず、東京にいました。結婚式だったので家族は一緒にいたんですが、魚沼の自宅に母が残っていて…。連絡が取れず不安なまま車を走らせ、着いたのは夜中。家には誰もいなくてゾッとしましたが、近くに住む姉が、母を迎えに来てくれたんだと知って安心しました。

米山:私は南魚沼の自宅で、ベッドでウトウトしていて…。あの時、自分がちょっと浮いた感覚がありました。すぐに家族を集めて安否確認をして、結婚式で新潟に出掛けていた母も、翌日親戚と一緒に柏崎周りで帰ってきてひと安心でした。あの時は、116号が通れたんだよね。

斎藤:そうそう。うちの家族も116号使って、糸魚川に帰ったよ。

「高速道路じゃなくていい。まずは、車が通れればいい」

発災後の業務は?

斎藤:まずは各自、自主参集。私も新潟管理事務所へ向かい、「会社の人を集めてくれ」と日本道路公団の方に言われたんですけど、とにかく連絡が取れなくて。自然と集まるのを、ひたすら待ちました。その後は、状況把握のための情報収集です。

米山:防災対策本部が設置された湯沢では、自主参集後、2週間くらいろくに家に帰れなかった(苦笑)。日本道路公団の人が、湯沢から北上する班と小千谷から南下する班とに分かれて、実際に本線を歩いて状況を確かめたんだよね。それで、堀之内辺りで2班が対面して握手したって。ここで「橋も落ちていない。トンネルも通れる。よし!復旧を急げ!」ってなった。

小幡:米山さんは土木、他の私たちは施設だから、動きがちょっと違うんだけど、とにかく私たちは設備の総点検。不良リストを作って、急いで直すものを決めて復旧。県外の協力会社さんも来てくれていました。

米山:道路はね、「高速道路じゃなくていい。まずは、車が通れればいい」って言われて、とにかくスピード重視。ネクスコ・メンテナンス新潟さんが土嚢を積んだりして、応急処置をすぐにやってくれて、翌日には緊急車両が通れるようになった。その後は「外々だけ走らせよう」という方針になって、道路の真ん中は波打ったまま、その外側、路肩側だけでも通れるように、全線仮復旧したのが約2週間後。

椛沢:早かったよね。路面が波打っていたのは、やっぱり堀之内辺りがひどかったね。そこの電源ケーブルとか調べたよ。

小幡:土木が頑張って道路を通れるようにしている中、施設が遅れを取るわけにはいかないので、こっちも急ピッチでやってましたね。

米山:土木は地元の建設会社さんがほんと頑張ってくれた。被災されている方も多かっただろうにね。やっぱり土地勘のある人の方が良かったから、あの時、集められてたよね?日本道路公団の人も。

小幡:そうですね。日本道路公団職員も、かつて新潟にいた人が続々と。

当社の防災対策に思うこと

斎藤:やっぱり、災害復旧の現場を経験した人の話は貴重だな。私は指示を出す方だったし、この3人のような経験者は、当社でもごく一部だからね。

椛沢:若い人は災害の内容も知らないだろうしね。伝える機会があるといいね。

斎藤:この中越地震と東日本大震災を経て、昔に比べたら当社の防災対策は整ってきているんだけど、災害発生時に通信手段がどこまで正常に働くかが心配なんだよね。衛星電話も、誰もが使える状態にはなっていないでしょう?

一同:うん…、確かに。

米山:でも、中越地震の時は個人の力量や意気込みに頼る部分が多くて、暗中模索の対応だったけど、今は組織として体系化されたんじゃないかな。

小幡:防災マニュアルも整ってますしね。うちらが泥臭くやったことを、これからはもっとスマートにやれるんですよ(笑)。

米山:そうだね。あとは、あの時のように「高速道路は俺らが守る!」っていう、強い気持ちがあればいい。

一同:それ大事!(拍手)

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