ひと
澤田石専務と考える我が社の今とこれから
メンバー
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澤田石 貞彦
専務取締役
企画統括部長
聞き手・ナビゲーター
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星 金太
新潟道路事務所
土木施工管理課 -
松夲 澪
新潟道路事務所
土木施工管理課
社員の所属・記事内容は、取材当時のものです。
これまでのご経歴
1989(平成元)年に旧日本道路公団に入社し、最初の勤務地は長野県の佐久工事事務所で、上信越道の仕事をしました。その後は、少しかいつまんでお伝えしますが、本社勤務や民間企業への研修、関西への出向などを経て、東京第一管理局交通技術課へ。そこで、2001(平成13)年の東名高速道路等のETC本格運用開始に当たり、レーン配置や標識等に関する社内外の協議に携わりました。当時ETCは誰もが未知の世界でしたので、警察も難色を示す部分が多く、それら1つひとつを丁寧に説明し、説得するという役目。大変でしたが、ETCレーンが無事開通し、他のゲートが混み合う中、スイスイと車が通る様子は爽快でしたね。その後は、仙台工事事務所で常磐道の仕事をしたり、また本社に戻って民営化移行本部で仕事をしたり。NEXCO東日本になってからは、経営企画などコーポレート部門の仕事も経験しました。その後、東北支社勤務となり、仙台で東日本大震災を経験。その後もまた本社と東北・仙台を行ったり来たりで、転勤はおそらく計20回、各地の滞在期間は平均2年でしょうかね。今回初の新潟勤務となり、大好きなお酒とお米がおいしくて、新潟暮らしを楽しんでいます。
東北支社にて東日本大震災を経験
発災時、私は支社の個室の執務室にいて、バタバタと周囲の物が倒れる中、壁につかまりながら部屋を出ました。家族は実家の秋田にいましたし、私も被災はしなかったのですが、毎食缶詰とパックご飯というような日々が続きました。そんな中でも、1つひとつみんなで対応し解決していったのですが、やはり、社員の中には家族の安否が分からない方もいて、そんな状況では仕事に集中なんてできないですよね。とにかく自分と身内の安否が第一。このように、被災する社員が出る可能性も踏まえた上で、日頃から災害時の訓練をする必要があるなと思いました。また、自分の中の正常性バイアスも体感しましたね。「大津波警報・10mの津波」と聞いて、「何かの間違いだろう」と思いましたから。
災害時の当社のあり方
災害発生時、指揮を執るのはNEXCO本体ですが、その先の動き、補修などの提案は当社主導で行えるよう、先のシナリオを想定した動きが必要だと思います。まずは社員の安否を含めた状況確認・情報収集をして、「道路施設の点検・状態管理・補修の専門家」として、「こうなるであろう」という視点を持ち、先回りをして動く、ということです。
年始の能登半島地震では、非常参集をし、情報収集を行い、点検へと動く対応は、迅速に行われていました。訓練と共に、このような経験と振り返りを積み重ね、グループとして改善を続けていくことが重要。NEXCOと当社は、お互いに不足点を補充・補填し合う関係ですから。
求められる「技術力」とは
私は、知識とマネジメント力の2つを合わせたものが「技術力」だと考えています。先人が積み重ねてきた経験や知恵がまとめられたものが「示方書※や要領」。これを知識として得た上で、自分の経験と判断によって、現場に合わせて対応する力、マネジメント力が必要なのです。若手はまずは知識を蓄えること。中堅はマネジメント力を高め、プロジェクト進行スキルを身に付けること。ベテランはそれらを後進に伝え、若手と中堅の技術力向上の手助けをすること。これを期待しています。
社員へのメッセージ
全ての基本は健康な心と体です。体は健康診断で分かりますが、心の不調は分かりづらい。だからこそ、積極的に皆さんとコミュニケーションを取りたいと思っています。皆さんが働きやすい環境を整えるのが、我々経営層としての使命です。これからも一緒に、安全第一で、高速道路を守り、進化させていきましょう。
※ 国土交通省が定めた、日本における橋や高架の道路等に関する技術基準を示した「道路橋示方書」のこと。